28歳の時に、知人に大金を借りて自費で米国に産婦人科修行に出た。LAにある某メディカルセンターに2年間も見学生として置いてもらったのだが、ここでの最新の産科医療に魅せられて、今に至っている。どうしても日本の産科医療が遅れて見えて仕方ないのである。こんな調子だから、帰国して他の先輩や同僚とうまく行くはずがなく、若くして独立したしだいである。

ところで、お産のとき、特に貧困層の方は、あちらでは大学病院で産むのであるが、その人達の分娩のいきみの頃になると、突然現れて「頑張れ。もう少しだ。さあ、行こう!」とか、英語あるいはスペイン語で叫んで患者の手を握り一生懸命はげましている人がいた。
彼女らは看護スタッフでもなく、医師でもなく、家族でもない。
なんだと思ったら、ボランティアの人であった。
そう、ひと呼んで、ザ・レイバー・コーチ(分娩コーチ)という役割の人なのである。
これは、もちろん日本には見られないおもしろい役割を担った人たちである。

最初の1年間、私は、この人たちは妊婦の家族だと思っていたのだが、1年間で
何回も同じ顔が現れることにようやく気づいて「あなたは誰なの?」と質問して
ようやく分娩コーチの存在に気づいたのであった。